物語に削り取られる話
物語に触れると消耗するのでドラマ連続で観れないし、つらいから最終回が改編期にまとまるのやめてほしい
— おのりん (@aonorin33) 2017年3月1日
そういうわけで、消耗しました。今の中盤〆のヤマ時期でこれだから、今月末には精神終わってるんじゃないでしょうか。今シーズンいい作品の良さが強くて。
消耗したので今日は伝えることを無視して、列挙だけしていきます。
ツイッターって便利ですね、文脈を補ってくれます。
だれも悪くないのにすべての歯車が悪い方に向かい、落ちていく様子に美しさが描かれる。落語とアニメの親和性はとても高く、ひたすらに声の力、音響の力に感情が踊らされる。「ああ、そうなるだろうな」と思うしかないポイントが数多くあり、物語に慣れている人の方がハマるはず。よい。
物語を書き始めると比較的早い段階で、主人公を虐めたいか、可愛がりたいかの二択が起こります。あとで可愛がるために一時的に落とすイベントと、虐めるための悪意を持った工夫は動力が違うので、ジャンクな物語に数多く触れると次第につかめてきます。
双子にまつわる殺人事件は絶対に被害者加害者が入れ替わっているし、両親が行方不明な主人公は物語の途中で両親の過去に触れるし、物語の論理はすさまじい強制力と共に働く。
— おのりん (@aonorin33) 2013年11月9日
魔女の呪いは発生するけど打ち勝つ手段か逃げ道があたえられるべきだし、予言の役割は反復されなければならない。用意した弾丸は発射されなければならない。撃たない銃は描くべきではない。チェーホフの銃。
例えば物語の登場人物が一人暮らしの部屋でひとり卵かけご飯を食べてるとします、そうすると、少なくとも卵が腐らない頻度で定期的に自炊する生活水準であることが読み取れます。これを意識的に書けるかどうかは作者の意識が露骨に出ます。
— おのりん (@aonorin33) 2017年3月2日
物語の作者は登場人物を自分の筆の力で動かさなければならないけれど、人間の人生は作家でさえ一度だけなので、意図しない意味が込められることは避けられない。考察の目を掻い潜るためには自身の学びを活用するしかないが、そこにあるのはホントウと伝聞の話でしかない。
物語は受けてに向けて語られるものである以上、受け手の知識を仮定します。知識にはメタなものも含まれるので、客の持つ「物語とはかくあるもの」という認識さえ作者は利用するかもしれません。人間はそこにいる他人と対話することはできなくて、目の前にいる人を自分の中に作り出して、その人と会話するんです。相手の反応は自分のなかのその人を調整するためにある。
物語はよいものですね、触れる度に心が消耗します。消耗を操作できる。他にこんなものは無いですよ。
以上、段落ごとに違う話。元気ならそれぞれで記事かけるんですが、今は無理です。