あおのりん!

おのりんです。なにとぞよしなに。

輝かしい春の記憶と

今日みたいに天気がいい日には、ふと春先の記憶がよみがえる。別に死にかけてはいないが、走馬灯というのはこんな風に浮かぶのだろう。自転車に乗って校区外まで出る小学生の記憶。新しい図書室の蔵書数に目を輝かせる中学生の記憶。クラスの友達と花見に繰り出す高校生の記憶。ひとり暮らしを始める準備の記憶。日本中から集まった田舎者が新生活の不安を共有して仲良くなる大学の記憶。次々と情景が浮かぶこうした輝かしい春の記憶の底に、仄暗い思い出が沈んでいる。

ありきたりな公立中学校の例に漏れず、僕の周りにもいじめの現場があった。とはいっても暴行や窃盗があったわけではない。別件としては多少あったが今日はその話じゃない。被害者と呼ばれるであろう彼に対して、誰も積極的に関わろうとしないだけだ。それはクラスのほとんどみんながそうで、僕もそうだった。彼は外見が整っているわけでもなく、話は自分の話が多くて面白くなく、なんというか多くの人からみて「友達」にはリストインされない感じがした。そんな彼との思い出だ。

春先、学校というのは定期的に行事をやらなければ気が済まないらしく、合宿があった。確か林間学校とか宿泊研修とか、そんな名前がついていたと思う。端的にいえばある程度の制限の中で生徒がはしゃぐ行事。青春の1ページの養殖イベント。そこで僕と彼はふたり同室になった。部屋割りの発表後、僕は内心で青春の終わりを確信していたし、周囲からの同情的な声もあった。それでも学校生活ではこの程度の理不尽は仕方がないので、僕は気にしないフリをして当日を迎えた。

行事本編である昼の詳細は省こう。夜の自由時間、僕は友達の部屋でこっそりとはしゃぎ、青春らしさを摂取して、消灯前に部屋に戻ると彼がいる。それはそう、彼と僕は同室なので当然いる。同じ空間にいる相手を邪険には扱えないので人並みに間をつなぐ程度の会話をする。そんな曖昧な世間話でも、しばらく話すとだんだんと本質的な話に転がることがある。彼はいつもの調子で自分の話をするはずだった。しかしこの晩に限っては、彼の話は内面の吐露だった。

彼の話はとても単純な悩みの告白だった。人間関係がうまくいかないと。実際もっとまわりくどい言い方だったが、おおよそそんな話だった。僕は悩んだ。普通なら人と会話をして、悩みを告白されたら手を貸すべきだ。特に中学生の社交経験では、聞かなかったことにする言葉選びはできない。しかし、ここで親密な間柄でするような返答を選べるほど、僕から見た彼は面白くない。彼と絡む時間があれば別の友達と話す方が万倍有意義だ。僕は悩んで、こんな返事をしたと思う。

「僕は正直、今日みたいに人間関係に悩んでいると言われて『じゃあ今日から友達だ!これで解決!よろしくね』とはならないし、親しく楽しげにやっていける気もしない。それでも、これから続く学校生活でわざわざ仲の悪い相手を作りたくはない。これからも積極的に仲良くする気はないけど、積極的に攻撃する気はまったくなくて、困ったことがあったら協力するくらいの気持ちはある。お互い、仲良くはできないにせよ、うまくやっていこう」

彼がどんな顔をしていたか、翌朝どんな話をしたかは覚えていない。僕の学生生活で彼と内面的な話をしたのはこれだけだった。悩みを明かしても軽くあしらわれた彼にとっていい思い出ではないだろうけど、仲良くなりたくない人と揉めない程度に距離を取った僕はそんなに悪ではないと思う。誰もが誰かと仲良くなるチャンスがあって、同じように仲良くしない判断はあっていい。それを明言してしまった中学生の僕が幼稚だっただけで、誰だって同じようなことはしている。

今日みたいに天気がいい日には、ふと春先の記憶がよみがえる。輝かしい春の記憶も、沈んだ思い出も。