デザインの解剖展からマーケティングを感じた話
こんにちは、私です。
みなさんは「デザインの解剖展」にはもう行きましたか?
行き方ですが、メトロに乗って乃木坂駅で降りたら彷徨ってください、運が良ければたどり着けます。
強運に自信の無い方はサイトから地図を確認していくことをおすすめします。
2017年1月22日(日)に終了してしまうので、お気を付け下さい。
私、この展で好きな文に出会いました。
この⑤です。
これです。
よいですね。ものを通して世界を見る、ARですね。
人によって好きな美術展や博物館などあるかと思いますが、私はこの「デザインの解剖展」大好きになりました。
ここで楽しめるのは情報量の暴力と、分かりやすさの見本市です。
会場全体で「きのこの山、明治ブルガリアヨーグルト、明治ミルクチョコレート、明治エッセルスーパーカップ、明治おいしい牛乳」のデザインが、パッケージ・印刷・包装構造・素材・製品と数多くの視点で分析しつくされます。まさに「解剖」!
上記の製品について、「ここにも言及しているかな?」と想像してみてください。たぶんしてます。
これだけ多くのポイントに着目した分析、解説を読み進めていくと、どんなひとであれ自分自身の体験を重ねる部分が出てくるはずです。
あなたが文字に注意を向ける人なら、パッケージのフォントに関する展示からメッセージを強く受け取れます。あなたがおいしさにこだわりを持つ人なら、製品の成分や、おいしさをお客様に届ける工夫の数々に感銘を受けるでしょう。物理的な面を気にする人なら、材料特性や立体的な形状が示す性質に納得できます。
情報が多岐にわたり深く張り巡らされている。そういう展示は多くの人に対して「これは私のための展示だ!」と思わせることができます。お客さんは思い思いに自分を展示にあてはめるからです。人は勝手にものを見て、勝手なことを言います。自分の見たいものだけを見て帰ります。
よいものは、誰が見ても自分を投影することができるんです。
この考え方はいろいろな応用が効きます。
又吉直樹『夜を乗り越える』の中に、人間失格に出会った時のことを指した一文があります。
“この主人公は自分と一緒だと思いました、太宰にはまる多くの読者がそうであるように、「太宰という人はなぜ僕のことがわかるのだろう」と不思議に思いながら、どっぷりとはまっていきました。”
太宰を読むときも、デザインの解剖展でも、心震わせる芝居を観た時も、そこに自分を投影することができます。多くの良い作品の中には自分がいるんです。
高密度の記号・情報の塊が、自分を映す鏡になります。
情報が濃いからこそ、どの一文に自分の好奇心が動くのかを高解像度で感じとれます。
この記事のタイトルに掲げた「デザインの解剖展からマーケティングを感じた話」というのは、私に限った話です。
マーケティングの基本は「消費者志向」にあります。つまり、相手のことを考えるのがマーケティングの原則です。(この話はそのうちします)
私は頭でっかちなマーケティング思考なので、すべてのデザインの要素が「お客様にとってよりよい製品にするための仕組み」や、「お客様にわかりやすく伝えるための仕組み」に見えていました。
「マーケティングって、デザインのことなんじゃないかな」とまで考え始めました。
多分染まり過ぎです。
さて、あなたがデザインの解剖展に行ったとします。
製品に込められたこだわりを、自分が興味を持っている世界にあてはめて理解するはずです、その瞬間の自分を観察してみましょう。きっと私の体験とは違うものを感じるはずです。
解剖展と、自分を、楽しんでください。
余談ですが、会場には牛乳大喜利があります。
明治あじがある牛乳 pic.twitter.com/OIIMhvEPJP
— 鯵坂もっちょ@通販予定 (@motcho_tw) 2016年12月2日
君だけの牛乳を作ろう。
デザインの解剖展から、マーケティングを感じた話でした。