追うべき背中と好奇心
こんにちは、私です。
豆腐の白和えは料理として認められるのか考えていたら今日の残り時間がわずかになっていました。
仕方がないので残ったわずかな今日はまともなことに思考をうずめようと思います。
今日は・・・、憧れている人の話をしましょうか。
好きなものに対して何がどう好きなのかを言葉にする技術を身につけたい
— おのりん (@aonorin33) 2016年2月1日
と、二月ごろの私が言ってました。
言葉の解像度、みたいなものが高い人がいて、そういう人が作品に触れた時に得られる情報の密度とか、書き込むときの精度が欲しい
— おのりん (@aonorin33) 2015年12月22日
たとえば、「お互いがんばろうね」って台詞があって、ここが「一緒に」ではないことに気付けるかどうか。人を褒めるときに、「すごい/かっこいい/すてきな/憧れる」を使い分けた結果伝わる人格の差。それらを読み解く、ワーディングを分析する解像度の高さに憧れるし、それができる人の目は綺麗だ。
— おのりん (@aonorin33) 2015年12月23日
とも言ってました。
私はわりと普段から、いろいろな人のいろんなポイントに憧れたり、目指したりを繰り返しています。ただ、いまでもこの人は特別です。このツイートで思い浮かべていたこの人は、目標です。
ここで言う、「言葉の解像度」ってなんなんでしょう。
言葉はそもそも範囲指定でしか物を指示してくれません。
例外は固有名詞ですが、今はちょっとややこしいのでパスです。
有象無象とした物質と概念の世界に、言葉で網をかける。
世界が言葉で切り分けられて、別々の概念になる。
ところてんを、想像してください。
うしろから押しだして、網目でわかれて、おちる。
それです。
この「言葉でできた網の構造」が「言葉の解像度」です。
正確に言い換えましょう。
「言葉でできた網の違いを判別する能力」が「言葉の解像度」です。
メタが一段あがりましたね。
この「言葉の解像度が高い人」は、世界を細密に捉えることができるわけです。
小説でも、映画でも、歌詞でも、受け取れる色彩が豊かになります。
虹の色数が何色あるのかが文化によって違うように、この人から見ると感情の種類が違うのかもしれません。
言葉を区別することができれば、人に伝えることもできます。
語彙力のほんとうの姿は、覚えている単語の数ではありません。
どの言葉が、自分の感情にいちばん合致するのか、この世界をつかむことができるのかを探る力が語彙力です。
モノをみて、噛み締めて、のみこんで、言葉にする。
そんな一連の流れを美しくやってのけるあの人に近づきたい。
そんな想いで、ブログをはじめました。
昨日までもそうでしたが、
これからも私は言葉をつかって、自分の好きを伝えようと思います。