あおのりん!

おのりんです。なにとぞよしなに。

文字から感情が抜け落ちる話

こんにちは、私です。

いろんなひとにあこがれてはじめたブログをさぼっていました。今日は書くよ。

なぜ今日は書くのかと言えば、一つはあなたに伝えたい言葉があったからで、もう一つは現実から目を背けるためです。現実は目を背けるたびに手に負えなくなるのでタチが悪いですね。

 

筆不精に陥っていた理由はいくつかありますが、その大きな理由として「書くほどに感情が目減りしていった」というものがあります。

 

 

今日はこれの話をします。

 

面白いもの、興味の対象になるものはひとによっていろいろあると思います。
音楽についてでも、数学についてでも、言葉についてでも、何だっていい。感情が動けばいい。
そうして個々に持ち合わせた好きなものについては、人に共感して欲しくて、またこの感動を共有したくて、各々のかたちで発信します。
こうして発信したものは自らの手を離れ、「書かれたもの」になります。あるいは「読み解かれるもの」になります。
私が不在になります。

 

語ることで何が起きるのでしょうか。

 

ひとはよく、憂さ晴らしに愚痴を言います。

つまり、マイナスの感情を言葉に乗せて自分から取り除いています。人間は気分がマイナスの時にはシステマティック(=論理的)な処理をするので、当然といえば当然ですね。嫌ななにかを理性に分析させることで、解決の糸口を見つける。適応のカタチです。イライラしている時には細かいアラが見えてくるでしょう?それです。

 

それはそれとして、好きな感情が有り余るときの話をします。

溢れんばかりの感情を筆が走るに任せて文字に起こす。好きが溢れて仕方ないから語彙が湧く、比喩が浮かぶ。次々に言葉を綴る。そうするとどこかで、ぱたりと次の言葉が出なくなる瞬間がきます。どんなに好きでも。

私はこれを、感情の枯渇と呼んでいます。

ひとによっては何万文字でも書ける人がいるのかもしれません。でも、私は枯渇します。

 

高校で芝居をやっていた頃、よく言われました。

「心の中にある器に感情が溜まっていく。外からわからなくても器の中にぽたりぽたりと感情が溜まって、ふちのぎりぎりで表面張力が働くところまで行ってもまだ漏れない。でも最後の一滴が落ちた途端に流れ出していく、この溢れた感情が台詞なんだ。」

言葉には感情が込められています。

 

愚痴を言えばマイナスの感情は言葉によって溢れ出し、自身から抜け落ちていく。これは健全な作用です。

一方で、幸せな記憶も素敵な想いも、文字に、言葉にすることで自身から抜け落ちていく。快感情を消費する感覚。これは歯がゆいものです。何かを語るために、自分の感情を削ぎ落とすのは、現実を噛みしめるようであり、すこし悲しくもあります。

 

自分の好奇心を形あるものに残したい。今、自分の中にある好奇心を削りたくない。

そう思って一か月ほど無でいましたが、振り返ろうとしても振り返れません。瞬間の感動と、保存される感動のトレードオフが成立しているようです。

 

どうせトレードオフなら、せっかくなので書こうと思います。

感情を削り取って、未来の私とあなたが楽しむために。

 

知識に呪われる話

こんにちは、私です。

冬ですね、こんな日にはチョコレートが食べたくなります。

もしくはくだらない話をしたくなります。勝手にやります。そういう場所です。

 

ところでみなさんは呪われたことはありますか?

明らかに怪しい名前のアイテムを手に入れた幼き日のあなたは、好奇心に負けて装備を選択してしまったはずです。

解呪のためにあちこち奔走したり、てんやわんやしたはずです。

懐かしいですね。懐かしくないあなたはそれとなくノリだけでノスタルジーを想像してください。

 

人々がまだピコピコとした画面に張り付いていた時代から、RPGにおいての呪いの役割は決まっています。

その系譜は脈々と受け継がれ、今ではほとんどの人に認知されているお約束があります。

 

装備したが最後、(基本的に)外せない。

 

これって、日常的にみんな体験してますね。

呪いですよ、呪い。不可逆。

 

例えば私は友人に呪われたんですが、

ロマンスの神様のBoy Meets Girl が森光子に聞こえるだとか、

 

楽天イーグルスのロゴが「毛」にしか見えないとか、

 

伊右衛門のロゴが「アホ」にしか見えないとか、

www.suntory.co.jp

 

いちどでも身に着けてしまったらずっと捨てられないものです。

どうです、呪われたでしょう。

今回は特に呪い感の強いコンテンツを選びました。

 

最初に言った通りくだらない話ですね。

 

さて、今日のタイトルは「知識に呪われる話」でした。

今言ったこの「呪い」概念って、かなり広範囲にわたって応用できると思いませんか?

 

例えば、 

芝居を「アクション」と「リアクション」の連続として捉えたら、途端に芝居の不自然な間が浮かび上がってきて、思わず気になってしまう場面が増えてきませんか?この役者は決め打ちで喋ってるなって気になり出しませんか?

チョコレートの香りが「ナッツ香・花香・果実香」に分類できることを知ったら、今後チョコレートを食べるときには香りをこの網目で分類しちゃいますよね。むしろ、これ以外の比喩を探すのがつらくなってきませんか?

道端や河原に際限なく落ちている石ですら、分類する枠組みを、手法を知ったら全てが意味を持ちます。火山性の石が落ちていたら、どの火山由来なのか、思い、馳せちゃいますよね。綺麗な石が構造色でこの色に見えていると知ったら、想像膨らんじゃいますよね。

 

知識を得たことで、背景だったものが記号になる。この瞬間に人は呪われます。

忘れない限り、記号が背景に戻ることはありません。

 

この作用がポジティブに働くことの方が圧倒的に多いのですが、私の場合はいくつか後悔した項目があります。

好奇心に負けて知ってしまったあのマジックのタネ。ディズニーシーにある某アトラクションのトリック。あの仕事でいくら稼ぐのか。あのまだ読んでない小説のオチ。

 

人はみんな呪われて生きていきます。みんな違う呪いを重ねがけされてます。もしかしたらある種の呪いのせいで、色眼鏡で見ている世界があるかもしれません。

それらを受け入れるポジティブな表現が「知識」なのかもしれません。

 

今日もまた、新たな呪いを受けながら、強く生きましょう。

 明日もまた記号が増える。

 

素数大富豪をペライチで伝道する話

こんにちは。今日は12月13日です。

みなさんがご存知のように1213が素数であることは広く知れ渡っています。

主に素数大富豪の影響です。

素数大富豪以前に1213と慣れ親しんでいた方はさすがにごく少数だと思いますがどうでしょう。

 

自己紹介がまだでしたね。

wreck1214.hatenablog.com

素数大富豪アドベントカレンダー9日目の記事の中盤のあたりで、

ちびっこに素数大富豪を伝道している怪しいお兄さんが言及されているとおもうんです。

 

私です。

おのりんです。

 

サイエンスアゴラが楽しかった話は狐さんが書いてくださってますので、私は楽しい中でちょっぴりしんどかった話を。

 

結論から言うと、素数大富豪のルール説明って、一から話すと長くなるんです。

準備の仕方、二枚出し以上の読み方、合成数出し、グロタンカット、ペナルティ、山札から一枚手札を引く権利、ジョーカーどうするのか、てんやわんや。

目の前のこどもたちの、ゲームやりたいからはやく説明おえてくれないかなって視線に耐えつつ、素数の概念のない子に教えつつインスト(ルール説明)するのしんどいんです。「グロタンディークっていう……知らないよね、ごめんね。57が素数じゃないのに素数っぽいから間違えて素数って言ったってエピソードがあってね……」

わちゃわちゃしました。

でもがんばる。ちびっこはかわいい。

がんばって説明しちゃう。

 

そんなわけで私、思ったんです。

こんな時にA4ペライチの文量で素数大富豪のインストができたらなあ、って。

そうすれば子供たちにもっと楽しんでもらえたなあ、って。

 

ルールは厳密になっていなくても、とりあえず遊び始めることができるものを、

このペライチとトランプがあれば素数大富豪に触れられる、そういうものが欲しい。

そして作ったものがこちらです。

 

 

f:id:aonorin33:20161213005712p:plain

 

上記の画像はご自由にお使いください。

A4で伝道ver.1.0 です。

 

どうですかこれ。パワポで作ったみたいでしょう。パワポで作ったんです。

突っ込みどころあるなと思います。

これをもっとわかりやすくできるというか、現状これはわかりにくい。

このペライチを改善したいなってのが、この記事の主張です。

 

「もっと構成をこの形にした方が可読性上がる」

「ここの言葉はこうした方が誤解しにくい」

「この表現だと別のルールになっちゃう」

「デザインこういうふうにしよう」

 

朱入れ、ご意見、御指摘、改稿、実際に伝道してみて起きた不具合レポなどお待ちしてます。

そのまま素数大富豪のルールをペライチで説明するブーム起こしましょう。

 

インストがすぐできるゲームになれば、素数大富豪の参入障壁はまだ下がると信じてます。

もっと数を愛して、素数と出会いましょう。

 

 

纏まりのない締めになりましたが、1213の日を楽しんでいきましょう。

 

100%Chocolate Cafe.

こんにちは、私です。

今日もチョコレートの話をします。

そろそろみなさんの中にはこう思う人も出てきた頃でしょう。

「なんだこいつ、チョコレートの話ばかりしてるな。チョコレート大好きかよ」って。

その通りです。大好き。

あと、料理と肉とディズニーと、数学とマーケティングが好きです。

 

本題入りましょうか。

 

www.meiji.co.jp

ここ、ご存知ですか?

東京駅の八重洲南口側をなんとか頑張ると着きます。

不安な方は上記のリンクからアクセスを調べると辿り着ける可能性が高まります。

明治のビルを目指しましょう。

 

看板にチョコレートドリンクなどが彩られたカフェが見えてくるはずです。

ここでは様々なチョコレートと出会うことができます。

様々なというか、具体的には、56種類のチョコレートと出会うことができます。

56種類の“テイスティングチョコレート”|100%ChocolateCafe. (100%チョコレートカフェ)|株式会社 明治

 

これ、冷静にやばくないですか。

普通に暮らしていて「No.49 ブラックペッパー」とか、「No.37 よもぎ」のチョコレートに出会うことありますか。私はないです。

見かけた瞬間、びっくりしますね。ずらぁっと並んだカラフルなプチタブレットに圧倒されますね。

これは必ずしも褒め言葉じゃないんですが、選択麻痺*1を起こしちゃいますね。

こんな素敵なカフェ、ショップがもし行動圏にあれば「今日のチョコレートはストロベリーにしようかなー、王道の抹茶にしようかなー、それともピスタチオにしようかなー」って、人生が楽しくすごせますよね。

「カカオの産地はコートジボワール、コロンビア、いや、ジャワいっちゃおうかな!」って、カカオの解像度上がりますよね!あ、私はまだその領域至ってないです。

 

ところで、ここのカフェに行ってから気付いたんですが、明治のチョコレートに対する気合いとこだわりと愛の深さやばくないですか。

どうやばいかといいますと、前にも言及したんですが

www.meiji.co.jp

これですよ。THEチョコレート。

お手軽に買える愛です。

 

THEチョコレートがどうすごいかは

 

aonorin33.hatenablog.com

 ↑ これでご確認ください。

私はもうコンビニで四種コンプリートして、食べ比べる生活をしています。

 

やはり大きい会社が本気出すと、クオリティもお求めやすさも素晴らしいですね。

 

 

ちなみにこの100%Chocolate Cafe.

メニューにあるチョコレートドリンクが幸せです。

色んなチョコレート由来のチョコレートドリンクをテイスティングできる素敵な商品があります。

 

f:id:aonorin33:20161210231218j:plain

 

 この説明文も綺麗に特徴押さえていて、味も香りも何もかもじっくりと味わうことができました。

中央のこれ、白ワインのような香りというか、白ワイン入ってないのが驚きなくらい芳醇な香りでした。芳香がふわっと。

 

美味しいも面白いも幸せも、解像度が高いほど増強できます。

特に味覚は脳が決めるものです。情報がわかりやすく示されていると、美味しさも輪郭がくっきりします。

 

あなたもぜひ、おいしいとか幸せを解像度の高い言葉にしていきましょう。

 

*1:選択麻痺というのは、選択肢が多すぎると後悔を避けるために、どれかひとつを選択すること自体を避けるやつです。

追うべき背中と好奇心

こんにちは、私です。

豆腐の白和えは料理として認められるのか考えていたら今日の残り時間がわずかになっていました。

仕方がないので残ったわずかな今日はまともなことに思考をうずめようと思います。

 

今日は・・・、憧れている人の話をしましょうか。

 

 

と、二月ごろの私が言ってました。

 

 

とも言ってました。

 

私はわりと普段から、いろいろな人のいろんなポイントに憧れたり、目指したりを繰り返しています。ただ、いまでもこの人は特別です。このツイートで思い浮かべていたこの人は、目標です。

 

ここで言う、「言葉の解像度」ってなんなんでしょう。

 

言葉はそもそも範囲指定でしか物を指示してくれません。

例外は固有名詞ですが、今はちょっとややこしいのでパスです。

 

有象無象とした物質と概念の世界に、言葉で網をかける。

世界が言葉で切り分けられて、別々の概念になる。

 

ところてんを、想像してください。

うしろから押しだして、網目でわかれて、おちる。

それです。

 

この「言葉でできた網の構造」が「言葉の解像度」です。

正確に言い換えましょう。

「言葉でできた網の違いを判別する能力」が「言葉の解像度」です。

メタが一段あがりましたね。

 

この「言葉の解像度が高い人」は、世界を細密に捉えることができるわけです。

小説でも、映画でも、歌詞でも、受け取れる色彩が豊かになります。

虹の色数が何色あるのかが文化によって違うように、この人から見ると感情の種類が違うのかもしれません。

 

言葉を区別することができれば、人に伝えることもできます。

語彙力のほんとうの姿は、覚えている単語の数ではありません。

どの言葉が、自分の感情にいちばん合致するのか、この世界をつかむことができるのかを探る力が語彙力です。

 

モノをみて、噛み締めて、のみこんで、言葉にする。

そんな一連の流れを美しくやってのけるあの人に近づきたい。

 

 

そんな想いで、ブログをはじめました。

 

昨日までもそうでしたが、

これからも私は言葉をつかって、自分の好きを伝えようと思います。

 

 

デザインの解剖展からマーケティングを感じた話

こんにちは、私です。

みなさんは「デザインの解剖展」にはもう行きましたか?

www.2121designsight.jp

 

行き方ですが、メトロに乗って乃木坂駅で降りたら彷徨ってください、運が良ければたどり着けます。

強運に自信の無い方はサイトから地図を確認していくことをおすすめします。

 

2017年1月22日(日)に終了してしまうので、お気を付け下さい。

 

私、この展で好きな文に出会いました。

この⑤です。

f:id:aonorin33:20161208211716j:plain

 

これです。

 

よいですね。ものを通して世界を見る、ARですね。

 

人によって好きな美術展や博物館などあるかと思いますが、私はこの「デザインの解剖展」大好きになりました。

ここで楽しめるのは情報量の暴力と、分かりやすさの見本市です。

会場全体で「きのこの山明治ブルガリアヨーグルト、明治ミルクチョコレート、明治エッセルスーパーカップ、明治おいしい牛乳」のデザインが、パッケージ・印刷・包装構造・素材・製品と数多くの視点で分析しつくされます。まさに「解剖」!

上記の製品について、「ここにも言及しているかな?」と想像してみてください。たぶんしてます。

これだけ多くのポイントに着目した分析、解説を読み進めていくと、どんなひとであれ自分自身の体験を重ねる部分が出てくるはずです。

 

あなたが文字に注意を向ける人なら、パッケージのフォントに関する展示からメッセージを強く受け取れます。あなたがおいしさにこだわりを持つ人なら、製品の成分や、おいしさをお客様に届ける工夫の数々に感銘を受けるでしょう。物理的な面を気にする人なら、材料特性や立体的な形状が示す性質に納得できます。

 

情報が多岐にわたり深く張り巡らされている。そういう展示は多くの人に対して「これは私のための展示だ!」と思わせることができます。お客さんは思い思いに自分を展示にあてはめるからです。人は勝手にものを見て、勝手なことを言います。自分の見たいものだけを見て帰ります。

よいものは、誰が見ても自分を投影することができるんです。

 

この考え方はいろいろな応用が効きます。

 

又吉直樹『夜を乗り越える』の中に、人間失格に出会った時のことを指した一文があります。

“この主人公は自分と一緒だと思いました、太宰にはまる多くの読者がそうであるように、「太宰という人はなぜ僕のことがわかるのだろう」と不思議に思いながら、どっぷりとはまっていきました。”

 

太宰を読むときも、デザインの解剖展でも、心震わせる芝居を観た時も、そこに自分を投影することができます。多くの良い作品の中には自分がいるんです。

高密度の記号・情報の塊が、自分を映す鏡になります。

 

情報が濃いからこそ、どの一文に自分の好奇心が動くのかを高解像度で感じとれます。

 

この記事のタイトルに掲げた「デザインの解剖展からマーケティングを感じた話」というのは、私に限った話です。

マーケティングの基本は「消費者志向」にあります。つまり、相手のことを考えるのがマーケティングの原則です。(この話はそのうちします)

私は頭でっかちなマーケティング思考なので、すべてのデザインの要素が「お客様にとってよりよい製品にするための仕組み」や、「お客様にわかりやすく伝えるための仕組み」に見えていました。

マーケティングって、デザインのことなんじゃないかな」とまで考え始めました。

多分染まり過ぎです。

 

さて、あなたがデザインの解剖展に行ったとします。

製品に込められたこだわりを、自分が興味を持っている世界にあてはめて理解するはずです、その瞬間の自分を観察してみましょう。きっと私の体験とは違うものを感じるはずです。

解剖展と、自分を、楽しんでください。

 

余談ですが、会場には牛乳大喜利があります。

君だけの牛乳を作ろう。

 

 

デザインの解剖展から、マーケティングを感じた話でした。

 

 

フレデリック・カッセル

こんにちは、私です。

料理と肉とディズニーと、数学とマーケティングが好きです。

昨日からチョコの人と言われ始めました。私です。

 

前回は下記の記事で、

 

aonorin33.hatenablog.com

 フォンダンショコラの伝道をしました。

名古屋、多治見のケーキ、スイーツ、焼き菓子、カフェ | シェシバタ

上記のお店の、

フォンダンショコラ | シェ・シバタ – オンラインショップ

↑ このフォンダンショコラです。

改めて幸せ高まりますね。名古屋行きたい。

 

そして今回の伝道は、

フレデリック・カッセル|Frederic Cassel

↑ こちらです。

フレデリック・カッセル、ご存知ですか?

ご存知ないあなたこそが、この記事のターゲットです。

 

フレデリック・カッセルとは、フランス発のショコラティエです。

日本国内では、東京・銀座三越ハイアットリージェンシー京都に店舗があります。

BOUTIQUE(店舗情報)|フレデリック・カッセル|Frederic Cassel

昨日の名古屋よりはリーチ人数が多いでしょうか。

より多くの人が身近に楽しめるわけですね。

 

こちらの店舗に寄る機会があれば、ぜひ食べて頂きたいものがあります。

Petits Gateauxの「Millefeuille Vanille ミルフイユ・ヴァニーユ」です。

COLLECTION(商品情報)|フレデリック・カッセル|Frederic Cassel

このミルフィーユに関して、ありきたりな表現をします。

サクサクのパイ生地にバニラの香り豊かなクリームが合わさり、おいしいです。

表面のキャラメリゼの深い苦みも、濃厚なバニラの風味も、最高です。

複雑なことを語る必要はもうありません。

シンプルな構造のまま、丁寧に手間をかけて完成度を高めていった作品です。だからこそ、この作品の形容はシンプルでいいんです。

今、あなたの脳裏に浮かんでいる「バニラクリームのミルフィーユ」の美味しさの水準を限界まで高めてみてください。その想像に匹敵するか、想像を超える奥深いバニラが味わえます。

このミルフィーユ、国内では銀座店のみでの取り扱いとのことです。

銀座三越に行かなくてはいけない理由が、一つ加わりましたね。

 

 

そしてこちらはショコラティエですから、素敵なショコラに溢れています。

どのショコラも魅力的ですが、特に“Casablanca”と題されたショコラは食感も食味も至高でした。アーモンドとヘーゼルナッツのプラリネの重厚さと軽やかさが両立した味わいに、アクセントとして加えられた岩塩が効いてきます。

お試しに小さなショコラアソートからでも、あなたに味わってみていただきたいです。

 

 

f:id:aonorin33:20161207185929j:plain

こちらは2016年のバレンタインシーズンに私が購入したショコラアソートです。

ショコラが美味しいのはもちろんですし、

写真だと見切れつつありますが、チャームも可愛いです。

 

天使をモチーフにしたチャームは眺めて可愛いだけでなく、素敵な機能があります。

チャームを眺めていると、ショコラの幸せな記憶が自然と思い出されます。

チョコレートは幸福を結晶にしたようなものですが、唯一の欠点があります。

チョコは食べると無くなってしまうんです。自明ですね。

 

そこでこのチャームですよ。

幸せな感情をそこに留めてくれる。いいですね、すてきです。

 

 

人の脳は、強く感情が動いた瞬間を鮮明に記憶します。

このショコラを味わったとき、味覚によって起こされる強い感動は、その瞬間の空間ごと脳に刻まれることになるはずです。

幸せな瞬間にこのショコラを食べれば、あなたにとって忘れられない幸福が生まれます。その体験を、天使のチャームが想起させてくれるわけです。

 

 

 

楽しいひと時を最高のショコラと共に過ごしましょう。